しかし残念なことに6世紀後半、聖徳太子の時代より前の我が国の歴史は神話との境が曖昧で、深い霧のようなモヤがかかっています。
そんな深い霧に光を当ててくれるのが、近隣国の記録と遺宝です。
3世紀前半の卑弥呼と邪馬台国を伝える道標は、中国の西普(3世紀後半)が残してくれた【魏志倭人伝】。日本史最古の確たる記録です。
次に古いのが、4世紀半ばに朝鮮半島より渡来した【七支刀】(石上神社蔵)。銘文により朝鮮の百済と日本が友好関係にあったことを教えてくれます。
そして三番目に古い記録にして、4世紀後半の日本の朝鮮半島進出を物語るのが414年に高句麗王によって建立された【好太王碑】です。
遥かなる遺宝
それが昨夏にふらっと久方ぶりに好太王碑の情報をネットを漁ってみると、年末に高速鉄道新線が碑の近くまで開通するとのニュースが!
好太王碑への道のり
撮影OK!
入場ゲート5を通ると間もなく好太王碑のガラスの囲いが見えてきます。
撮影は出来ないものだと諦めていたので、これは予想外の嬉しいボーナスでした。
好太王碑解読
何が本番なのかというと、好太王碑は1600年もの歳月の大半を野ざらしで過ごし、近年では数多の拓本採りで傷められ、表面が摩耗して肝心の碑文が消えかかっているのです。この摩耗した碑文から日本人=倭人の記録を読み取らねば、日本古代史を紐解くという、そもそもの目的が果たせません。
予習はしてきたものの、そもそも碑の画像があまり見つからず、見つかった画像も肝心な“倭”がある箇所が切れていたり、“倭”があってもそう見えなかったりで
予習資料を取り出して、“読み取れないかも…”と恐れながら“倭”のあるべき碑文の位置に目をやると
見えた、見えました。ネット上の写真では判然としなかった文字のかたちがハッキリと。見紛うことなき“倭”の字です。しかも一つだけではなく、三つも、四つも。
更には、倭人(日本人)が朝鮮半島に攻め入り新羅の国境を破り城や池を潰したという一番読みたかった文もまるっと読めました。
4世紀の日本は朝鮮半島深く、窮余の新羅が高句麗王に助けを求めるまでの勢いで攻め入っていたのだなぁ(詠嘆)6。
それから他の箇所も読んでみようと資料と碑文を代わる代わる見比べて、気がついたらあっという間に1時間が経っていました。その間、ほぼ碑を貸切り状態。オンシーズン(5月から)前に来たのが期せず功を奏したようです。
将軍塚
丸都山城

鴨緑江


集安鴨緑江国境鉄道大橋

朝鮮人参

貴族墓地
市の中心部にある博物館も長期休業中でした。










