
本文は2026年4月の筆者の見聞に基づき書かれたものです。
しかし残念なことに6世紀後半、聖徳太子の時代より前の我が国の歴史の記録は神話との境が曖昧で、深い霧のようなモヤがかかっています。
空白の四世紀
上は日本古代史の年表です。一瞥してお分かりのとおり、3世紀までの日本の歴史の記録はすべて中国史書(正史)によるものです。
しかし、3世紀終盤より中国は三国時代に突入、中国全土は阿鼻叫喚の焦土と化して、とても外国のことなど構っていられる状況ではなくなり、日本に関する記録も途絶えてしまいます。
再び中国史書の記録にて日本が確認できるのは、未曾有の混乱が多少なりとも落ち着く南北朝時代前夜(5世紀序盤)まで待たなくてはなりません。
つまり、4世紀の日本は確たる道標となるべき文字記録がなく「空白の4世紀」と呼ばれる所以です。
朝鮮半島の遺宝
そんな空白の4世紀ですが、それを照らす光が、日本と中国の間にある朝鮮半島に二つ、残されていたのです。
一つは、4世紀半ば(369年)に朝鮮半島より渡来した【七支刀】(石上神宮蔵)。銘文により朝鮮の百済と日本が友好関係にあったことを教えてくれます。
好太王碑
碑文は四面にびっしりと漢字1802字が刻まれており、その中に、好太王が平壌付近で相まみえた相手が“倭”(日本)であることが明記されていて、すまわち好太王碑は、日本書紀の“神功皇后が三韓征伐を行った”との記述にも垣間見えるとおり、遥かなる“空白の4世紀”に日本が海を越えて朝鮮半島へ進出していた3。ことを証明する、貴重な一次資料なのです。
遥かなる遺宝
好太王碑のことを私が知ったのは、もう十年近く前のことです。この目で見てみたい!と逸り立ったものの、所在は中国の北朝鮮国境沿いとあって、情報が余りに乏しい4上に交通も不便極まりなく、歯噛みをするしかありませんでした。
それが昨夏にふらっと久方ぶりに好太王碑の情報をネットを漁ってみると、年末に高速鉄道新線が碑の近くまで開通するとのニュースが!
瀋陽~通化~集安
撮影OK!
入場ゲート13を通ると間もなく好太王碑のガラスの囲いが見えてきます。
息を呑んで正面ヘ。事前に調べた情報では囲いの中は撮影禁止14とのことだったので、せめてガラスの外からでも写真を撮りたいと思い、警備員に尋ねると、
まさかの、囲いの中も好きに撮影してよいとの返事❗️
撮影は出来ないものだと諦めていたので、これは予想外の嬉しいボーナスでした。
好太王碑解読
何が本番なのかというと、好太王碑は1600年もの歳月の大半を野ざらしで過ごし15、近年では数多の拓本採りで傷められ、表面が摩耗して肝心の碑文が消えかかっているのです。この摩耗した碑文から日本人=倭人の記録を読み取らねば、日本古代史を紐解くという、そもそもの目的が果たせません。
予習はしてきたものの、そもそも碑の画像があまり見つからず、見つかった画像も肝心な“倭”がある箇所が切れていたり、“倭”があってもそう見えなかったりで
予習資料を取り出して、“読み取れないかも…”と恐れながら“倭”のあるべき碑文の位置に目をやると
見えた、見えました。ネット上の写真では判然としなかった文字のかたちがハッキリと。見紛うことなき“倭”の字です。しかも一つだけではなく、三つも、四つも。
更には、倭人(日本人)が朝鮮半島に攻め入り新羅の国境を破り城や池を潰したという一番読みたかった文もまるっと読めました。
やっぱり4世紀の日本は、窮余の新羅が高句麗王に助けを求めるまでの勢いで、朝鮮半島の奥深く攻め入っていたのだなぁ(詠嘆)
それから他の箇所も読んでみようと資料と碑文を代わる代わる見比べて、気がついたらあっという間に1時間が経っていました。その間、ほぼ碑を貸切り状態。オンシーズン(5月から)前に来たのが期せず功を奏したようです。
いつまでもキリがないので、後ろ髪を引かれつつも、すっかり満足して好太王碑に別れを告げ、おまけとして集安の他の遺跡と北朝鮮国境を巡って、満足感いっぱいに再び高速道路で通化に戻ったのでありました。
鴨緑江

看板は「対岸の人と話をしてはいけません」と書いてある(話を交わせるぐらい近い)。
5月からのオンシーズンは博物館からまっすぐ川に向かった船着き場から、遊覧ボートが出るそう。


鉄道橋も架かるが、鉄道は無期限運休中。1939年竣工、長さ598m、幅5m、支える橋脚は20本。

鉄道橋を近くで見るには入場券を買うけれど、すぐ脇(市内側の道のどん詰まり)に、橋が川辺りからよく見える私設展望台(中国国旗が高らか掲揚されている、無料)があり、こちらの方がお勧め。
朝鮮人参

集安では朝鮮料理屋が多いらしいが、今回集安で食事はせず、代わりに朝鮮料理は通化の繁華街で食べて、小麦粉の冷麺やキムチに舌鼓を打ちました。
貴族墓地
市の中心部にある博物館も長期休業中でした。
考えてみると、好太王碑が休業だった可能性だってあった訳です17。桑原、桑原。。。
好太王碑四面
せっかく撮影OKだったし、碑の四面が揃った写真がネット上に見当たらないので、ここに掲載します。
第一面

第二面

第二面前半は好太王が征服した国の羅列。半ばからまた好太王の活躍活写となり、日本(倭)が主として登場するのもこの面、
第三面

第三面前半は第二面の続き。後半からは、好太王の陵墓をいかに守っていくかの心得集。
第四面

第四面は、第三面に引き続き、末尾まで好太王の陵墓をいかに守っていくかの心得集。
現地で実物の碑から碑文を読み取ろうとするならば、予習は必須です。摩耗がひどくて、予習なしでは何が書いてあるか、まず分からないです18。
【好太王碑】の所在は、下の地図の⑪です。











