中国は漢民族の国ですが、広大な国土には公認されているだけでも55の他民族が暮らしています。その代表格の一つがモンゴル族で、彼らの居住地 中国内陸北部にある内モンゴル自治区(以下、内モンゴル)は阿栄旗(以下、アロン旗)を訪れた折のことです。
阿栄旗
街の名前も“アロン旗”、市でも町でもなく“旗”なのも異彩を放ちますが、これはモンゴルではなく清朝(満州族)の習わしの名残だとか。
とまれ、エキゾチックな雰囲気にすっかり陶酔していると、そんな私の顔を見た現地のガイド氏がニッと笑い“面白いものを見せよう”と。期待と謎を抱きながら後をついていくと、そこは大屋内食品市場でした。
“ああ、内モンゴルの食材か。これはたしかに面白い”と喜んで奥に入っていったら・・
ええ??
朝鮮食材!? ケースを見ると、紛うことなきキムチがぎっしり並んでいます。
中国の、内モンゴルで、本格的な朝鮮食材とは。。
新发朝鲜族郷東光村
呆気に取られる私を、ガイド氏は今度は車に乗せて一路郊外へ。半刻ほど走ったでしょうか。立派な牌楼を入口とした瀟洒な住宅街が見えてきましたが、門の奥に並ぶ建物が中国らしくも、モンゴルらしくもないような・・・
大門をくぐって住宅街に入りました。大きな池もあり素敵な街並みですが、やはり中国ともモンゴルとも違う雰囲気です。
ちょうどお昼どきで、私の空腹を見透かしたかのように、車はレストランの前で停まりました。“ここの建物、もしや”と思いながら近寄って看板を見ると。。。
文字はハングル! 料理はプルコギ!
これで予想が裏付けられました。この建物の装いは韓国でよく見た朝鮮風に違いありません。
対面に目を移せば、商店の看板にもハングルが並んでいました。そう、この住宅街は朝鮮郷でした。
しかし、、夢にも思いませんでした。朝鮮半島から1,000km 離れた中国内陸部の内モンゴルに、朝鮮郷があろうとは。。
800kmの放浪の果てに
プルコギが焦げるのも忘れて聞き入った話によると、ここは内モンゴルで唯一の朝鮮族行政区域で、その名は“新发朝鲜族郷”。この東光村と、アロン旗市街の反対側にある新发村の二つの集落によって成り、合わせて約1200人の朝鮮族が住んでいるそうです。
およそ800kmも西にある牡丹江からここまでやって来た理由は、道中の中国北東部のほとんどが開発され尽くされており、放浪農民が己がものにできる所有者のいない土地が皆無だったためだそうですが、よくまあ頑張ったものです。
頑張った甲斐は十二分にあって、この新天地は大興安嶺より流れるアロン川の豊かな水源に恵まれた松嫩平原にあり、朝鮮族が得意とする稲作に最適でした。
中国の朝鮮族
内モンゴルの朝鮮郷
なので中国人にとっては中国に朝鮮族がいるのは当然のことです。それでも、朝鮮郷が内モンゴルにあるのは中国人にとってもやはり意外で、大きな驚きをもって受け止められるとのこと。
このためアロン旗政府はこの朝鮮郷が立派な観光資源になると踏み、中国全土に宣伝するとともに相応の投資を行い、先の青瓦台も、東光村が瀟洒なのもその賜物です。ちょっと違いますが、観光兼居住地という意味ではハウステンボスがイメージに近いかもしれません。
アロン旗には朝鮮郷のほかにも、ツングース系のエヴェンキの民族郷があるそうです。
日本にいるとどうしても“民族”という概念に疎くなりますが、この“中国”の“内モンゴル”にある“朝鮮郷”を目の当たりにして、蒙が啓かれる思いをした次第です。
附録 ~アロン旗~
もっぱら朝鮮郷のことを綴りましたが、特筆すべき名所旧跡がないアロン旗を外国人が訪れる機会はごく少ないと思われますので、朝鮮郷以外の写真もここでご紹介します。
朝鮮食材のあった食品市場です。
ここは綺麗なお姉さんが練りゴマほかの調味料を売っていた店です。練りゴマのすでに詰まっている瓶を買おうとしたら、新鮮なのを持っていきなさいと、目の前で抽出してくれました。本当に美味しくて、大瓶を買ったのがあっという間になくなってしまいました。こんなお店、近所にあればいいのに。



その他の有象無象。市場はどこの街でも本当に楽しいです。木の皮を売っているようなお店がありましたが、外国人が日本でゴボウを売ってるのを見たら同じように見えるかも。
ご当地の食事も異邦探訪の醍醐味。アロン旗は牛肉と豚肉が美味しいことで有名だそうで、確かに納得でした。
宿泊した阿栄旗賓館。さすがアロン旗一の高級ホテル、快適でした。
本文執筆にあたり、次のサイトを参照しました。中国語ですが、詳しい地図や空中写真が載っているので、見てみてください。
このサイトでも内モンゴルに朝鮮族がいることに、中国人の書き手が驚いています。