雲崗石窟 (大同) 460~494

雲崗石窟

本文は2025年10月の筆者の見聞に基づき書かれたものです。

雲崗石窟南北朝時代に華北を統一した北魏が5世紀に国家プロジェクトとして残した仏教芸術の極地。圧巻の巨大仏もあれば、微に入り細に入る竈窟彫刻もあり、どちらも数多ある上にバラエティにも富む、中国三大石窟の一つ。所在は山西省第二都市・大同で、高速鉄道で北京から僅か2時間とアクセスが極めて容易な世界遺産です。

第3窟

最初の見所がこの第3窟。いきなり大迫力!

雲崗最大級の洞窟に座する本尊は高さ10mの阿弥陀如来。北魏時代には未完成で顔は200年以上後の唐時代に仕上げられました。そのため他の雲崗の他の仏像と容貌が異なっています。

第6窟

スケールの大きい第3窟から一転して、第6窟は微に入り細を穿ちます。

中央塔も四壁も、精緻に彫られたお釈迦様の一生を語る彩色彫刻でびっしり埋め尽くされて、これぞ仏教芸術の至宝。

第10窟 ~須弥山洞窟 ~

第10窟の異名の元となるのが、上の写真の須弥山彫刻。
古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山が見事に活写されています。

第11窟

第10窟(須弥山洞窟)と第12窟(音楽窟)という雲崗の白眉に挟まれて割りを食っている感がありますが、
洞窟内の彫刻の多くは北魏第6代孝文帝治世時の様式を留め、当時の仏教美術の成熟期の賜と言え、中央塔柱も方塔としては雲岡石窟最古であるなど、第11窟も見どころ満載です。

第12窟 ~音楽窟 ~

「音楽窟」の異名のとおり、多種多様な楽器を演奏する艶やかな伎楽天人が数多 居並びます。天人の持つ楽器は47種類にも及び、中国の伝統楽器である筝、簫、横笛、琴などのほか、亀玆の五弦琴、ペルシャの竪箜篌、天竺の法螺貝の笛などもあり、当時の社会の各民族の音楽と踊りが大集合しています。中国音楽史を研究する上でも貴重な資料。

4年前に、9年間に及ぶ大改修を終えたばかり故、色も鮮やかで、見ていて心奪われます(天人の奏でる調べが本当に聞こえてきそうな気がしました)。

第13窟 ~腕支え武者 ~

主尊は高さ13.5mの弥勒菩薩像。精緻な彫刻をしばらく見続けてきたので、巨大感もひとしお。
雲崗石窟
腕支え武者

第13窟の菩薩像は右手を上げて勇猛果敢な姿勢をとっていますが。そのあまりに巨大な姿のため、中空に保つことができませんでした。
そこで当時の職人たちは、その巨大な腕を支えるために四本の腕を持つ武者像を特別に設計したのです。
この設計は実に素晴らしく、巨大な腕を支えるという問題を解決しただけでなく、弥勒菩薩の雄大さと護法の威光を適切に強調し、迫力と感動を与えます。 

第16〜20窟は雲崗石窟最初期に造られた“始まりの五窟”。五窟の主尊はいずれも巨大で、各々が北魏の五皇帝を表しています。

右から第16、17、18、19窟。第16窟は改修中で見学叶いませんでした。

第17窟

円形の壁とドーム天井を持つ単室洞窟に、中国最古の巨大弥勒像(高さ15.6m)が胡座を組んでいます。
その簡素さに初期雲岡石窟の芸術的特徴がよく表れています。

第18窟

緻密な設計で完璧な仏像構成だと称えられる第18窟。中央に巨大な主尊を据え、左右対称に、大きさの異なる脇侍、菩薩、弟子を配するこの配置は、整然とした階層構造と完璧な構成を持つ古典的な絵画を形作り、極めて神聖で荘厳な宗教的雰囲気を醸し出しています。

第19窟

主尊は雲崗で2番目に大きな仏像。高さ16.8m。逞しく堂々たる姿の釈迦牟尼を象ったもので、洞窟空間の大部分を占めています。

第20窟 ~露天大仏 ~

第20窟は正面の壁が崩落したため、仏像が露出しており「露天大仏」と呼ばれる。大仏の荘厳な姿は初期雲岡石窟彫刻の典型的な特徴を体現しており、この時代を代表する仏像。

雲岡石窟を象徴する存在でもあるので、雲崗石窟を紹介する写真に登場するのはもっぱらこの第20窟。

雲崗石窟のある大同市1は、4世紀末に北魏が都と定めて以来、遼、金、清等の征服王朝にとって重要都市であり続けました。そのため大同市は歴史ある見どころが、雲崗石窟のみならず、目白押しなのです。

5世紀末は北魏後期造営の仏・儒・道 三教一体寺院。現在の建物は明清代のものというから、古いものは16~17世紀初の建立です。大規模改修・補強は重ねられているにせよ、木造の寺が400年以上 崖に貼りついています。すごい。。

普通に最上層まで上れてしまうけれど、通路は狭いわ、手すりは低いわ、よく落ちてしまう人がいないものだと感心してしまう。私も少し目が眩みました。日本だっらた絶対に上らせないこと請け合いです。

大同九龍壁

大同九龍壁は、中国現存最古2かつ最大3の照壁4。426枚の琉璃(釉薬をかけて焼いた陶器製の建材)を用いた碧を背景に、その名のとおり九龍が壁面狭しと躍動する。

14世紀末に、明朝初代皇帝 朱元璋の皇子(13男) 代王朱桂の王府前に建てられた5。王府自体は明末清初の戦乱で消失したが、明代の琉璃建築技術の頂点を示すこの九龍壁だけは幸運にも残った。

華厳寺

華厳寺は遼朝(1038年)創建の大同旧市街にある広大な寺院。戦乱と天災によりほとんどのお堂が灰燼に帰した中、大雄宝殿と薄伽教蔵殿のニ堂だけは創建時かそれに近い時期のものが現存する。

大雄飛殿

堂内は、基石は遼、建物は金、仏像は明、壁画天井画は清という中華歴代王朝の仏教芸術濃密詰め合わせ。

華厳寺
両翼を護る二十天が、仏に近づかんと前のめりなのがよい。

薄伽教藏殿

建物はそのまま。鎮座する仏像31体もあまねく 創建時(遼朝 11世紀)のものという、千年時空を超越したお堂。

華厳寺
仏像の顔がふくよかなのが遼代の特徴なのか。
華厳寺
“東洋のビーナス”と称賛される美菩薩像。菩薩の笑みから歯がこぼれているのが 中国的にたまらない模様

大同市博物館

歴史の都だけあって、大同市の博物館の遺宝コレクションは圧巻。丸一日過ごしてしまいました。

大同市博物館
市郊外の北魏時代の塼室墓「北魏司馬金龍墓」(484年埋葬)から出土したミニ兵馬俑。俑列は驚異的で、その数 360体超。大同市博物館は損傷の浅い238体の俑列を修復整理し、北魏時代の壮麗な様相を再現している。
大同市博物館
北魏藍と呼ばれる4世紀の美麗ガラス器。製造技術は西方よりシルクロードを通って伝播したとされる。